【皮肉】優しい彼氏
私の彼氏は優しい。
惚気ではありません。皮肉です。
優しい彼氏は、料理を失敗しても、「美味しい」と言って食べてくれる。
疲れていたらそっとしておいてくれる。
私が一日中ベッドでだらだらしていても文句を言わない。
でも、この優しさは、本当に私のことを思ってのことなのかわからなくなる時がある。
失敗した料理を「美味しい」と言って食べてくれるのも、疲れていたらそっとしておいてくれるのも、文句を言って波風立てたくないからでは?
一日中だらだらしていても何も言わないのは、そもそも私がどんな過ごし方をしていてもどうでもいいからでは?
私が彼に思う「優しい」は「どうでもいい」の裏返しなのではないかと思う。
どうでもいい相手と喧嘩なんてしたくない。
私は彼と過ごしてきて、彼が何を思っているのか、何をどうしたいのかが全くわからない。
彼から感じる優しさに、私への思いやりはあるのだろうか。
私に興味をなくした(いや、もともと興味なんてなかったのかもしれない)彼は、私のことをなんだと思っているんだろうか。
核心に迫るのが怖くて、私は彼との心地良くて、生温い時間をだらだらと過ごす。
いつまで続くかな。
人生で一つだけ後悔していること
昨日まで、人生で間違った選択をしたことはないと思っていた。
日常生活で些細な悔やまれることはあるけれど、これまで辿ったコミュニティは、どれも素敵で刺激的で楽しかった。そして何より、私の人生にたくさんの選択肢を与えてくれた。
でも、昨日、一つだけ大きな後悔を見つけた。
それは、長期留学に行かなかったことだ。
高校に入学してから海外ドラマを見るようになり、海外の学生生活に憧れを抱くようになった。
土日はパーティーに繰り出し、スポーツをしたり深い勉強をしたり。
そして学生の期間でたくさんの価値観に触れたかった。
もちろん、今からでも留学はできる。
でも、中学、高校、大学という、現地の学生が通うコミュニティで、一緒に時の流れを感じるのは、多分もうチャンスがない。
ワーホリに行こうかなとも思うが、やっぱり私が行きたいのは学校だ。
若いうちにしておいて損はないと思うのが、経験で、大きな経験である長期留学をスキップしてしまったことは本当に大きな悔いである。
彼氏と元カノ
彼氏が元カノと会っていた。
想像力に乏しい私は、それを聞いたとき「ふーん」って感じ。
でもあんまり良くないことはわかっていたので、
「もうしないでね」とだけ釘をさした。
私は出会ってからの彼しか知らないし、その前に付き合っていた彼女とどんな場所に行って、どんな会話を交わして、どんなストーリーがあるのかも分からない。
知りたいけど、完璧に知るなんて無理な話で、もし隅々まで知ることができたとき、「分からない」が引き出す彼氏への興味がなくなってしまうと思う。
だから、彼氏と元カノが過ごした時間を詮索して、否定する幼稚な自分にはなりたくない。
だけど、願わくは、どうか彼氏に思い出としてしまっておいて欲しい。
そして、私と過ごしている「今」を見つめていて欲しい。
私と彼には関係性があるように、きっと元カノと彼にも違う関係性がある。
だらしない私に見せる彼のだらしないところは、きちんとした元カノには見せなかっただろうし
そんな元カノに見せる紳士的な立ち居振る舞いは、お子ちゃまは私に見せるにはまだ早いみたい。
最後に、私からこれを見ていない彼氏にちょこっと毒をはく。
インスタのストーリーを上げることは全然ないあなただけど、元カノと行った旅行は過去にストーリーに上げてたの私知ってるよ。
私との旅行をあげてくれたことはないのにね。
寂しいな。
東京、土日、梅雨。奇跡の晴れ
今週のお題「雨の日の過ごし方」
梅雨の晴れ日はラッキーデーだと思っている話。
お題とはずれてしまう。
無限に暇な女子大生の、予定のない休日をご紹介する。
この土日、東京は奇跡的に晴れた。
お昼頃起きて、1時間ほど家で運動をして、シャワーを浴びて、だらだらNetflixを見て、あー洗濯した方がいいかな、とベッドシーツを眺めながら、やっぱり実行することはなくだらだらamazon primeに切り替えた。
でも、流石に梅雨時に晴れるのって、珍しいな、ちょっとくらい散歩した方がいいよなあという思考になった私は、数時間だけ外に出た。
駅前のタリーズに行って卒論に必要な文献を読んでいた。
家だとだらだらしてしまう私にとって、良いスイッチ入れになった。
同じことを考えている人は多いようで、「英検2級」の本を持って勉強する女子学生、
メガネをかけ、パソコンをカタカタしているバリキャリ風ウーマン、
仕事をするのに大切なマインドをたくさん書いている新書を読む男性
梅雨時期に晴れているのってとても珍しいことだからか、みんなこぞってタリーズに作業しにきていた。
まあ別に梅雨時期限定じゃなく、土日にはいつも見られる光景なのかもしれないが、少なくとも私にはそう見えた。
梅雨時期の晴れ間はラッキーデーで、外に出なきゃ損!って思考が働くのだ。
文献を読み終え、そういえば朝から何も食べていないことに気がついた。お腹がぐうぐう鳴り、やる気がなくなったので帰りにコンビニでサラダとカップラーメンと箱アイスを買って帰った。
決して綺麗ではない部屋でラーメンをすすり、レポートを書き上げた。
起きた時間も、食べたものも、意外とコンビニでお金を使ってしまったことも、別に良いことではないけど、外に出ただけで、自分めっちゃ偉いな!と思った。
そして日曜、今私はしっかりメイクをし、外出用ワンピースを着て、昨年からずっと気になっていたお店でプログラミングの勉強をしている。
自分最強すぎて最強。
梅雨の時期の晴れはやる気が500万倍でる。
いっぱい食べてるアピールする細い女が嫌い
最近TikTokをインストールした。
なんであのアプリあんな一生見ていられるんだろう。
沼だよ、沼。
私は、芸人とかそういうネタ系の投稿ばかり見ている。
でも、よくおすすめに出てくる好かん動画がある。それは、ひたすらに顔が可愛い女が「いっぱい食べる君が好き〜♪」という音源に合わせてもぐもぐなんか食ってる動画だ。
本当嫌い!!!!!
まあ100%僻みでしかないんだけどね!!!!!!
小さい頃からずっと太っていて、痩せていた期間はほとんどなかった。
家族もオカンもお姉ちゃんも親戚も大概デブ。
呪われしデブ家系。
この間一発発起してダイエット成功して見事痩せたものの、ちょっと気が緩むとすぐ肉がつく。
食べる=罪悪感だから本当にしんどい。
だから、TikTokで「私こんなにたーくさん食べるんです❤︎ご飯は絶対おかわりするもんっ♫」みたいな投稿が流れると嫉妬で気が狂う。
「けっ。どうせ普段は食べてねんだわ。」
「コメントで「いっぱい食べるのに痩せてて羨ましい〜〜」って言われてえだけだろ自己顕示欲の塊がよお」
ってな具合で見てる。
食べても太りやすい人、太りにくい人という分類は絶対ある。
私は別に、太りにくい人全員が嫌いなわけではない。
例えば友達とかで、「食べる量少ないな〜、普段摂生して努力してるんだな〜」って思えば尊敬する。
あとは、痩せている友達は太れないことにコンプレックスを持っていて、もっと肉付きをよくしたいと思って、デブが痩せたいと思うレベルで悩んでいる子だっている。
私がどうしても好きになれないのは「羨ましい〜可愛い〜❤︎」って言われたくて飯動画あげてる女どもだ。いやまあ嫉妬なんだけれども。
そしてそういう女は動画をあげたあとすぐ、自己防衛のように「太るよ〜〜〜!最近ほら、ほっぺたぽちゃぽちゃしてきたのお!」という。
うぜえ!お前のその動画黒歴史になっからな!!!!!!!!!!!!
(嫉妬に気が狂う女より)
強くない私は、結局誰かに選ばれたい
どうも、もぐこです。
飽き性な私はこのブログを書くのも1ヶ月くらい空いてしまった。
継続力がないところ直したいなあ。
今日は私が最近恋愛に対して思っていることにかきたい。
それは、私は選ぶ女でなく、選ばれる女でありたいということだ。
自己肯定感が低く、誰かに認められたくてたまらない私は、恋愛においても特定の誰かに「あなたと一緒に過ごしたい」っていうふうに思われたいし、言われたい。
その最強の言葉が
「あなたと結婚したい」
だと思っている。
だから、自分から男性にプレッシャーをかけて同棲、結婚するかというよりは、相手に心から「このひとと住みたい」「このひとと子供を育てたい」って思って伝えて欲しい。
いつでも男を自分で選ぶ立場にある強い女性からしたら
「は?男に選ばれるとか、上下関係あるみたいで嫌じゃない?」
と思われるかもしれない。
もちろん関係は対等であるべきだと思うし、相手から選ばれプロポーズされることをいじらしく待ってもやもやして何も言えないのは、なんだか弱いなあと自分でも思う。
だけどね、やっぱり私は、「選ばれる瞬間」がとてもとても幸せで、私はこのひとに必要とされている感覚が湧くと思うから。
だから、私はあなたに選ばれたい。
私が押し付けなくても、素のままの私に惚れて、
「一緒にいて」
って言って欲しい。
高校卒業したときのこと。私は思い出を美化しません。
今週のお題「〇〇からの卒業」
2018年の春、私は地方の県立高校を卒業した。
正直、めっちゃつまんない3年間だった。
確か1年生の秋くらいには、「早く東京の女子大生になりたい・・・」って思っていた。
高校時代の友人と会うと、その子は決まって「あの時は楽しかったよね〜」という懐古話をしたりする。
共感するかめっちゃ悩む。
確かに、今思い返したら楽しいエピソードもたくさんあるし、高校生みたいな馬鹿みたいなこともいっぱいした。
でも、私は絶対に高校時代が楽しかっただなんて、間違ってでも思わないようにしている。
それは、高校生の頃の私に対する敬礼みたいなものだ。
2018年の春、無事第一志望の大学に受かり卒業式を迎えたとき、心に誓ったことがある。
「絶対に、このクソみたいな高校の思い出を美化しないようにしよう」
朝早いし、学校遠いし、勉強ばかりで、人間関係にもたくさん悩んだ。何より自分が大嫌いだった。
卒業式を迎えた私は、数年後の私はそういう悩みは忘れて、楽しい思い出だけが抽出されて高校時代の記憶として残るんだろうな、とわかっていた。
だから、「高校時代=クソ」っていう印象を頭の中に植え付けた。
私はそのときの自分の気持ちに忠実になって、
「ああ私の高校時代はつまらなかったな」と思う。
そして「今めっちゃ楽しくない?」と思う。
やりたいことを好きなだけやれる
毎日やることが違うから曜日感覚がない
責任はないけど思い描くようにやれる毎日
私はこういう「自由」が好きな人間で、規則とか習慣が嫌いなタイプだ。
高校が嫌いだったのは、そういうことが起因しているんだろうな。
高校時代つまらなかったね。でも今は楽しいよ。
自由になれてよかったね。私。